01/29:作品を出しました。

色々苦労した買いもあって、ようやく作品を出すことができました。

名前は「拾伍号。」です 今回に限っては自身でも変な名前だと思う。

けれど悪い感じはしない この子は拾伍号。として生まれてきた。

 

作品を出すたびに私らしさを入れる場所は減っていっている。

何故ってそれは「自分らしさ」が「人には合わない」と

徐々に明確になっているから。

 

いつも作品を出した後はとても辛くて。

すべて吐き出してしまった疲労感。

次はもうないんじゃないかという危機感。

 

そして仲の良かった人たちから徐々に距離が開いて

気づいた時にはもう誰も周りにはいないんじゃないかという

底知れない恐怖感と。

 

作らなくなった自分には何の価値もない。

 

生きていたってしょうがない、そうして

何回も心の中で助けて、たすけてというしかない状況に

いつも陥ってしまう。 どうしろというのだ。

 

どうしようもない吐き気に追い込まれて行っていますが

まぁいつものことなのできっと大丈夫。助けてほしい。

何なのだこれは……!どうすればいいのだ!?

自分の好きに作ってみなさいとよく言われるのですが

それがどれだけ難しいことか!!

 

人の目を気にしなくてもいいと言われるが

それもどれだけ難しいことか!!!

 

まぁ自分の性格がとんでもなくメンドクサイのがいけないのですが……。

こだわりは強く、のわりに仲の良い人達との会話の中で揺らぎ変わってしまう。

一度決まったらやり通せ!みたいに怒られそうですが、それにも訳があるのです。

 

何かといえば自分が正しいと思えないからであります。

自分で出した意見を何度もこれが正しいのかどうなのかと検討するうちに

より良い意見が出たりするのですが、それすらも正しいかどうかは疑わしい。

 

そしてなんだかんだ一番最初の意見に一周してくることが多いのですが。

その時やっとあの考えは正しかったの”かも”しれないと思えるのです。

 

安心や信頼は良いものですが、それ以上のものを考える力を奪ってしまう。

これでいいやという甘えに走ってしまう要因なので

個人的には諦めて納得したことにして作品を出すほかないなと。

自分は絶対に正しいだなんて思えない。

 

それを他人を巻き込んでするもんだから、周囲の人からしたら

たまったものではないですよね。

 

色んな意味を含め、自分の好きにするのは難しい。

いつ何時も足りないモノ。

沢山のゲームや映画を見てきた。だから眼だけは肥えている。

デザインにそれらは存分に活用できるのだが、挫折しかける要因、周囲の人々に言われハッとすること。それは「いつも調べが甘いこと」である。

 

感情で動き、感情で制作する。

そして折れるか折れないかのギリギリで作品を生み出す。

いつもそんなことの繰り返しだった。

 

デザイン上だけでは、それらは見通せない。

モデリングとは現実の複製をすることなのだから、現実を知らなければいくら目が肥えてようと全くもって意味のないことである。

現実を知りもしないのに、納得のいく造形を持ったモデリングなど不可能である。

毎回この結論に行きつくのに、毎回作業の初めには忘れてしまう。

今一度心に留めておかなければならない。

 

今回に限っては、

デザイン時に浮かび上がる完成目標、参考にした作品との完成度の差。

周囲のモデラー達の技術上達速度、見えない消費者意見の思い込みなど

様々な視線が襲い掛かり、ついには耐えられずに折れてしまった。

 

しばらく時間が経った今、冷静に浮かび上がった問題点

・事前準備の不足

・正しい努力の不足

 

これらがわかったなら、今一度調べなおすところからやってみようと思う。

今度は納得のいくフォトリアル方面の造形を目指して

"きっかけ"はなんとなく。

暇な時、手持ち無沙汰で気が向いた時にでも考えたことを記録していこうかなと。

恐らく三日坊主になる可能性が大きいが、長かろうと短かろうと何かしら書き記す行為が何か自分の創作活動にプラスになることを信じて、とりあえずやってみようと思う。